毎日生きていく中で、忘れない日というのは誰しも持っていると思う。それを思い出と言いかえたり、記憶と言う場合もあるのかもしれない。忘れない日。それは衝撃。喰らった日は忘れない。忘れようにも忘れる事は出来ないのである。2年前、自身が参加した鱸釣りの大会打ち上げの日の帰り道。いつも通りフィールドへエントリーするつもりでいた。その日は所属するチームの後輩と待ち合わせをして一緒に竿を振る約束の日。予定通り合流をしたのち談笑しながら鱸釣りの話に花を咲かせた。しばらくしてもう1人の後輩も合流し、3人でまだまだ開拓途中のジアイとタイミングを計っていた。夜は更け時間と共に下がる潮位。1月の寒い夜は指先から徐々に体力と集中力を奪っていく。まだだ。あと少し。潮位が下がりきる所まで眠気を押し殺し、口数の減った3人で何とか時間を繋ぐ。今夜じゃなかったのかもしれない。脳裏をよぎるが声には出さない。いや、きっと今夜。今夜のはずだとキャスト音だけが静寂を切り開き続ける。そのポイントに確信はあった。何度も見てきた捕食光景とすさまじい捕食音。一度は浸かった腹元まで寄せた事だってあるのだから。その時は1人。ソレを証明する事が出来ないまま悔し涙だけが川と共に流れてきたのだから。
“その時”は突然訪れた。
尋常じゃないエラ洗いの音。川に並んで、下流側に自分、上流側に遅れて来た後輩。その2人を挟んだ間でドラグが悲鳴を上げ続けている。”間違いなくデカい”確信すると共にすぐさまランディング補助の体制についた。この時の3人はさっきまでとは打って変わって、息が合っていた。何度も何度も練習してきたかの様に、自分が何をすれば良いか体が先に動いていく感覚。もう目前まで来た魚体をみた瞬間、思わず背筋が伸びた。想像を遥かに超える大鱸がそこにはいた。もう2度と味わえない初めての感覚。足がすくみ、変な声が出た。陸に上がったその魚体は、言葉や文字では言い表せない不思議な気持ちを胸に突き刺してきた。3人から出た言葉は”凄い”。色んな気持ちが飛び交う中、純粋に嬉しかった。3人だ。今度は1人じゃない。証明された瞬間だったのだ。釣り上げたのは決して自分では無い。でもその大鱸はこの川に、そのジアイに居合わせたのだ。何度も何度も魚を見た。本人は涙していた。それはそうだ。こんな大鱸釣り上げたのだから。震える手で針を外し、束の間の感動と共に優しく見送った。見えなくなるまで見届けた僕ら3人は、まるで子供みたいに笑った。あの日の夜の事は、今も忘れる事が出来ない。

