知識と経験。

今の世の中、インターネットを使用すれば知識はいくらでも得る事が出来る。釣りだけに限らず何に対しても情報や知識はいつでも、どこにいても入手できてしまう。しかし絶対的に手に入らないのは体験である。こればかりは、いくら旅行サイトを閲覧しようと世界地図を広げようと実際そこに行かない限りその空気感を味う事は出来ない。ネットで拾い集めた情報をもとに大風呂敷を広げて語った所で、何の感情も刺さってこないのである。笑。旅行好きの友人がいるのだが、旅行から帰ってくると飲みにさそう。話をしてもらうのである。その話はいつもフレッシュで面白く、奥深い。ガイドブックにも載っていない楽しい話しをしてくれる。しかも質問まで出来るのだからコレに越した事はない。その時思った事や感情まで教えてくれる。彼の話しはなぜそこまで面白いか?彼が体験から得たモノは何なのか?それは”知恵”だと思う。知識や情報は、いくらでも誰でも手に入る。だが、知恵はつかない。ネットや雑誌では体験は出来ないからである。実体験から生まれる経験は、知恵をつける。釣れない川に何年も通えば、いずれにせよ考える。毎日釣れないのに、同じ事をただただ繰り返す馬鹿はあまりいない。毎回違う事を試しに行っているに違いないはずである。釣れた記事を何度も読んでいたら釣りが上手くなりました。こんな人も聞いた事がない。知識と情報は沢山あるに越した事は無いのだが、詰め込み過ぎも良くない。いい塩梅と言う言葉通り、インプットとアウトプットには丁度良い加減がある。何も知らずに始めるのは冒険と言えばカッコイイし、挑戦といえば形にはなる。だがそれは些か勿体ない様にも思える。必要最低限の事は知っておいた方が良いし、何より人間には使える時間に限りがある。だからといって何もかもを情報で固めようようとすると今度は矛盾にぶつかる。なんでも釣れる竿もなければ、何も釣れない川も無いのだから。笑。ここから先は経験である。あーだこーだ言うよりも、やってから考えた方が良い。それこそが知恵をつけると思う。このルアーの使い方はこうです。デッドスローにゆっくり巻いて、、、。と書いてあるのを真に受けても、その速さの感覚は人それぞれ。もうちょっとこう、こんな感じで、、、。いやはや伝わらない。伝えきれない。色々やって試してみると、自分なりのデッドスローが見つかる。それこそが知恵が付いた証拠である。人生に置いて、沢山の知恵を持っている人は魅力的なのである。先に話した旅行好きの友人は、人としてとても魅力があるのだ。経験した事から求める物や道具はいつも画期的で、どこかお洒落なのである。ついつい真似したくなる事が沢山ある。思うに真似は大事で、当の自分も大抵の物事には真似から入る質である。そこから工夫して考えると、少し違う物に辿り着く。自分の場合、物選びは大体この成り行きなのだが、それが経験からなる知恵なのだと思っている。Instagramを見ていると真似の段階で終わっている人を沢山みつける。決して悪い事では無いので、悪いとは思わない。しかしその先にはもっと奥行きのある楽しさがある。やってみて考え、トライアンドエラーを繰り返した先には、いつも必ず面白い事が待っている。失敗を繰り返した先の失敗は、大笑い出来る。体験談は失敗の方が断然面白いしオイシイのだから。どう転んでも楽しさしか残らない。知識だけぶら下げて、やった事無いのに知ってる風な事だけはやめた方がいい。それ以上につまらない事は無い。大火傷が待っているだけである。火傷の傷痕は中々治りが悪いのも、火傷した人は知っているものである。笑。

魚だって馬鹿では無い。エサの時間に口をパクパクさせる飼い慣らされた魚は、自然界にはそういない。大きな魚体になればなるほど、幾つもの修羅場と経験を重ねているはずである。魚釣りとは、魚と人間の知恵比べなのかもしれない。そう考えると、ルアーフィッシングは益々楽しいのである。