感じ方と楽しみ方と。

先日釣りに行く途中いつものようにコンビニに寄り、駐車場でスマホを使って調べ物をしていると突然、窓をコンコンっと叩かれた。

見ると、黒人の若者が立っていて窓を開けると、『オニイサン、コノクルマプロボックス?OK?』と聞かた。笑。そうだよと答えると、『イイネコレ。ナンインチリフトアップ?』指で3と表すと、『フォーーー!』と喜ばれた。『メッチャメチャカッコイイヨ!』と手を振られた。

きっと何かの仕事でこんな田舎町にきてるのだろうけど、育った文化が違う人にそう言われると素直に嬉しかった。長らく乗ったジムニーから乗り換えたプロボックスだが、荷物は載るし燃費も良く、かなり気に入っている。

人によって、かっこよさや楽しさの感じ方は異なる。性格が違う様に。きっとそうだと思う。ただ、美しいものや、感動するものは、ある一定の度合いを超える時、統一されて感じる様にも思う。景色なんかは特にそうではないだろうか?

最近子供達を連れて、近くの滝を見に行ったのだが、自分は涼しいだろうし、こんな時だからこそもっと自然に触れていてもらいたいという思いだった。実際に滝を見た子供達は、まるでナイアガラの滝でも見ているかの様に大喜びして感動していた。

時間の感じ方は歳を追うごとに短く感じ始める。こんな話を聞いた事がある。産まれてきたばかりの人間にとって、24時間はコップ一杯だったとしたとき、2歳になると、そのコップの半分の位置に線が引かれて24時間の感じ方は半分になる。歳をとればとるほどにその線は、さらに半分、さらに半分と引かれていき、ビーカーの目盛りの様になる。そして時間の感じ方はドンドン短く感じ始めるのだそうだ。夏休みは1年生の時は確かに1年くらいあった様に感じた。高校生の頃には、2週間ほどにしか感じなかった様な気がする。

楽しい時間は過ぎるのが早い。これも不思議な感じ方だ。スケボーに没頭していた頃、夜遊びに没頭していた頃は、気がつけば朝だった。

今はもっぱら釣りに没頭しているから、すぐに時間が過ぎる。気がつけば朝だ。笑。

そう考えると、楽しい時間を過ごせているのだなと再確認出来た。自分の中で新しい事を始めれば、その都度感動と感激を味わう事が出来るのだと。自分がやっている鱸釣りは手数が多い。その分楽しさや楽しみ方も限りなくある。今は、ワームの釣りに挑戦しているが、どうやら時間が足らない様に感じている。楽しめているという事なのだろう。