耳川という川。

耳川という川について。宮崎県は日向市を流れる二級河川の耳川。最上流は上椎葉から始まり、東臼杵郡を抜け、日向市を経て海へと流れ出る。

幾つかのダムで堰き止められており、河口から1つ目に当たるダムは美郷町にある大内原ダム。河口からの距離で言えば30kmは無い程度だと思う。おそらくそこまでは鱸が生息していると思われるのだが、自分で釣り上げた記録はもう少し下流までで、未だ調査中。

シーバス釣りを始めて耳川という川に通い、たくさんの魚と遊んだ。もともとは渓流から始まっているのだが、山女魚を釣るにしろ鱸を釣るにしろメイン河川は耳川である。

鱸に関しては、耳川だけでは無いもののその殆どが耳川での釣行である。

耳川に通う理由は実に単純で、近い事と渓流釣りは元々耳川に行っていたので、親近感がある事だった。

以前fimoブログの限られた設定の人にだけ見れる記事には書いた事があったのだが、初めの頃に耳川で出会った人達に聞いた話がいくつかある。

釣り人だったり、鮎獲りの人だったり、ただの近所の人だったりと、耳川の経験が長い人達と話すのは面白く、初めの頃は会うと良く話し込んでいた。

教えてくれた事と言えば、前のブログに書いた、”釣りを難しくするのはいつの時代も人”という事、”雑誌やTVを沢山見るより川に教わった方が間違いが無い”という事、”沢山釣るにも、大きいのを釣るにも通った人にしかわからない事がある”という事、”ある程度の大きさからはマグレ釣りじゃ狙えない”といった事を聞いた。

半信半疑でここまでやってきたが、やはり年の功と言うか、そうだよなと思う時が多々ある。

その昔ザウルスのノリさんが残した言葉に、”1匹の魚とどう関わるか?”と言うあまりにも有名な言葉があるが、自分の場合は、”一本の川とどう関わるか?”という感じがする。山女魚も鱸もプラグで狙う訳だが、365日同じ河川に通ったとしても、中々同じ状況条件の釣りをするのが難しいのは釣りの醍醐味。ましてや台風や大雨などで地形変化もある。夏と冬では干満差も入れ替わる。大きな魚にしても、沢山の数釣りにしても、自分の足を使って1本の河川を動き回る楽しさは、やはり一本の川の釣りの醍醐味だと感じてしまう。

なにより、1匹の魚を追い求めて世界各国飛び回れる訳でも無い自分としては、長い時間をかけて地元河川と密着している方が、しっくりくるのである。

今現在やっているベイトシーバスのスタイルも、耳川で様々な釣りの経験をした上にある自分のスタイルだと今は実感している。

要は、川が教えてくれたのだ。

どんな釣り方が面白くて、どんな魚に奥深さを感じられるか。勿論その感じ方は人それぞれ十人十色。人によってソレは異なる。

実際自分の場合は運がかなり良かったというのもある。

シーバス釣りをはじめた最初の頃に、今思い返せば”良い魚”に耳川で結構出会っていた。取り込め無かった個体や、姿まで見てバラしたもの等、悔し涙をのんだ個体に初めの頃に相当数出会っていたのは幸運以外の何でもない。

それらがあったから諦めがつかなかったし、都市伝説的な話すら信じざるをえない体験へと繋がったのだから。

何年も耳川の魚達とやりとりを繰り返していくうちに、自ずと道具の選択肢も狭まっていった。

思い出すと笑える話しだが、初めの頃は2、3本ロッドを用意して、折り畳みの椅子を持って夜中に釣りをしていた。ベストのポケットに入りきらないほどボックスを持ち込んで、持てる限りのルアーを毎晩投げに通ったのも耳川の魅力だと思う。笑。

暑い夏の夜も、手がかじかむ真冬の夜も、時には仲間と、1年の殆どを1人で何年も何年も通い詰めた。

その釣行の中で、たくさん魚をバラし、たくさん魚を釣り上げた。その度に、何が良かったか?何が良く無かったか?の自問自答を繰り返しながら、取っ替え引っ替え道具やポイント、潮位を考えながら耳川へ向かった。

まだまだ終わりは見えないし、おそらく終わりは無い。

何が言いたいかというと、ようやく自分がやってみたかった釣りが、今出来ているという事。やっと追いついた感じだ。膨大な時間とお金を注いで、納得出来る形を探し求めた感覚の様に思う。

まさに今、毎回の釣行が今までで1番楽しくて仕方が無い。来る日も来る日も追いかけ続けた魚達が教えてくれたのは、釣りの楽しさだった事が良くわかった。

1本の河川とどう関わるか?

まだまだワクワクは鳴り止まない。