人の人生はそう長くない。年齢的な部分で見ても、感覚的なものさしで考えても、”いつかやりたい”の”いつか”にあてる時間は皆沢山は無いはずなのである。
5年程前に父が他界した。癌だった。今考えると、”ザ昭和の男”といった感じの父だった。そんな父の夢はバイクの旅だった。最期まで病室で明日の話しをしていた。
父の夢は夢に終わったが、”やりたい事は元気なうちにやっとけよ”と言う意志は十分に伝わった。
大袈裟な言い方だが、鱸釣りに対して1つの夢というか、目標が出来た。言い方によっては、やっと出来た。笑。
“自分が削り出したプラグで、メーターないし大スズキを釣り上げる”と言う事。
渓流用のプラグは手作りしていたのだが、鱸用は正直言って作りたく無かった。それは単純に、自信が無かったからだ。
渓流は経験も長く、そこそこ自信があった事と、その習性をある程度把握していたし、鱸ほど難しい釣りでは無かった事もあり、深く考える前に、とりあえず削り出して現場合わせからやっていたので、造形という部分よりは、夏休みの自由研究の様な気分でミノーを作っていた。それでいて、釣れた。





そうなってくると、楽しくなり造形的な部分にも面白さを感じた。荒削りしたバルサに、缶スプレーで塗り終えたミノーでは、物足りなくなっていったのだ。








作ったミノーに”トムキャット”と名前をつけて、腹裏にはネームまで入れたバルサは、安定した泳ぎを見つけると、面白い程に釣れた。




大体のミノーの仕組みがわかるようになると、サイズ違いや、レンジ違いも作り答えは川に聞いてみた。
それでも鱸用のプラグには自信が無かったのだが、ここ最近のベイトシーバス釣行から数々のヒントを得た事と、自分の中である程度やり通して、今のスタイルに辿り着いた事から、プラグが絞れて来たことから、シーバスプラグを作ってみたいという気持ちがわいてきた。
これは実験でもあるし、世の中には沢山のプラグが存在する。すでにやり終えた目標の人もいれば、これから同じ方向を志す人もいるかもしれないと思い、文章に残す事にした。
耳川で鱸釣りをする者が、いつか耳川の鱸を根こそぎ釣りたい。と言う思いと、夜の耳川での釣りは禊に近い感覚があるので、そのプラグの名前は、“ミミソギ”と名付ける事にした。



まだ始まったばかりだが、ゆっくりじっくり楽しんでいきたいと思う。
鱸釣りは本当に楽しいのである。