タイトルの通りのままではあるが、誰かに認められたく書いた記事や内容も、無かったか?と聞かれれば、ソレが全く無いと言えば嘘になる。
やはり人は人に聞いて欲しいし、何処かしら”わかって欲しい”という欲求はあるのだと思う。だがしかし長続きしないと言うか、結局は気付いて貰えない。わかって貰えないと理解すると、その方向性は内側の深い方に向かうように感じている。
気に入られたくて、媚びへつらって、分かってもらいたくてやっていくと、誰かの真似よりタチの悪い変な者になりかねない。
どうせ変なヤツになるのであれば、自分自身が納得出来る方が絶対イイ。
ルアー釣りに対する考え方が、また1つ捻くれてねじ曲がったのかもしれない。笑。
ミリオネアというリールの歴史を紐解いた辺りから、日本の河川プラグ文化を真剣に考え、その丸型で太鼓型と言われるリールへの興味は益々深まってしまった。スピニングリールの事は一度忘れる事にするほどに。
自分の解釈ではこうだ。
バスフリークから爆発的に発展を遂げた世界のルアーフィッシングとプラグ文化、その背景には必ずリールの文化も存在する。それが何を意味するか?それは、スタイルそのもの。単純に分けるのであれば、スピニングリールとベイトリール。深掘りするのであれば、太鼓型とロープロ機。ややこしくなるのは、このどれらにもオールド機が存在する事。
単に丸型と括ったとしても、アンバサダーもミリオネアも、カルカッタもある訳で。丸い形を全面的に押し出すとすれば、それはアンバサダーがやはり格好も含めて納得させられてしまう。
がしかしである。その技術、強度、現代デザインにおいてはどうだろう?”その全てを”までとは言わずとも、条件値を高いレベルで実現しているのは、現行機の丸型リールと呼ばれる者達だと自分はそう思う。なぜそうなっていったのかは、釣り人であれば簡単に理解できると思うが、”必要だったから”につきる。
時代とともに進化した釣りの文化は、魚種への開拓も含めて、釣り方、使うプラグさえもその裾野を広げた。それに伴い道具が進化するのは当然の流れ。ソレを踏まえた上で”自分の釣りを組み立てる”。それは人に習うのでは無く、慣れる方の経験だと自分は感じている。
“耳川”から始まった釣りは、誰に習った訳でも無く、師すらも”耳川”だと言える程に1人の時間が圧倒的に長い自分の釣り。それだけに遠回りをし、様々な道具に容赦無く金銭を注ぎ込んだのは紛れも無い事実。
その経験から出した答えは、”捻くれた釣り人”かもしれない。今の時代と技術力で言えば確実にスピニングリールの進化、そしてベイトリールの使い勝手に置いて、ロープロ機が抜きに出ているのは間違い無いだろう。では何故ここまで丸型のリールが生き残る事が出来るのか?
画的な問題なのか、好みの問題なのか。釣りを生業としている訳では無いので、あくまでも趣味であり、拘りの問題かもしれない。その答えは、死んでも解らないのかもしれない。
とにかくその”魅力”に取り憑かれてしまったら、もうお終いだ。
トラウトの方は以前からではあるが、今現在はシーバスに置いても、と言うよりも全てのリールを太鼓型へと変えてしまった。
どうしてこんなにも面白くて愉しい道具が用意されているのか。釣りは本当に面白い。