回想記。

あの頃、SNSという時計が動き始めた頃。

可能性と抱いた夢とが交差するような気がして寝れなかった頃。

もう今の若い世代には通じないかもしれない、当時”mixi”というSNSが流行した。

沢山の人が毎日当たり前に日記を書き、ソレを公開し続け、コミュニティで集う人間関係は、今のSNSのソレよりも”もっと現実寄り”と言うか、すぐ手の届く距離感に感じとれた。

誰もがポエマーで、誰もが小説家だった。笑。

言わば文章書きの千本ノックだ。

ブログというより、毎日綴る日記を数万人レベルでやっているような感覚。今思えばよくもまあそんなに書く事があったもんだなとも思える反面、書くために何かをして”アクション”の癖づけにもなっていたんだとも思い返せる。

毎日書く人の文面の癖や、書き方、見せ方、コメント欄を観覧して情報を見つける日々。

細分化されたコミュニティは、もの凄く似たもの同士を結びつけるツールであり、そのコミュニティに集った数字がもたらすものは目で見て判断できる規模の大きさの目安にもなった。

イベント、オフ会、マイミク達の行動に目を光らせては、いち早く情報をキャッチし、さらに拡散し続けた。

あれは言わば2000年代(00’s)の時代の産物であり、他に似た物が無かった様に思える。

2.5次元の世界観の様な現実とネットの世界の境目の様なシステムだった。

その後、本家Facebookの流行やTwitterにInstagramと様々なSNSが今、世に出てきてはいるものの、あの当時ほど皆が一方向を向いて皆で行進している感じはもはや今は無い。

あの”ナニカ”に向かって投げた想いや、とった行動、その”ナニカ”に辿り着いた人も少なからずいたのだろう。”先の見えない事”や”よくわからない事”にあれほど情熱を注げる時間を皆で共有出来た事に今更面白さを感じている。笑。

それに近い感覚というか、今こんな時代だならなのか、世界的な情勢がそうさせたのか、”アウトドア”というジャンルが世界的に大ブームなのは誰がどう見てもわかるとは思うが、こと”釣り”に関しても静かなムーブメントをがいくつか起きている。

その小さな渦が、交わり合って大きくなるのは時間の問題だという事は、長くやっている人達なら誰もが解る流れだろう。

大きく散りばめられたSNSの火の粉が集まって大きなキャンプファイヤーになるのか、小川の流れが強くなり交わり大海にのまれる1つの河川になるのか、どちらにせよ”今が今だから、今なのよ”と言った濱本さんの言葉通り。

今を楽しまないと損するという事だけは確かである。

曇っていた空に少しばかりの光が差し、風向き次第でもうすぐ晴れる。

そんな2021年の秋の終わり。