何年も耳川に通ってきたのだが、自身もようやく大鱸を釣る事が出来た。長い道のりであり、それは新たなスタートでもある。到着地点ではなく、通過点であった事を改めて感じたこの数日間。
それは、今まで耳川に通った中で出会った人達に、気付かされたのかもしれない。
大きな魚。
釣り人である以上ある程度の人であれば、やはり大物を夢見て、目標を抱き竿を振るのは当たり前の事だと信じている。何年も通い詰める中で、やはり1人じゃない時という日は何日か存在するわけだが、沢山ある単独釣行より記念魚が出る日は、誰かと釣行している時が多いというのは、本当に不思議なものである。
事実、耳川での1mを超える大物のランディングには自身を含むと実に7回も遭遇しているのだから。







これらの写真は、全て自分のカメラがシャッターを切ったものである。実に不思議だ。もちろん、これが全てでは無い事も重々承知ではあるのだが、それにしても遭遇率は高い。決して簡単では無く、通い込む程に深みにハマる釣り。夢、目標、浪漫かもしれない。昭和の記事に憧れた自身の釣りは、平成、令和と移り変わるも、耳川自体は何も変わっていなかったのかもしれない。その都市伝説は、やがて紐解かれ、その浪漫はまだまだ膨らんでゆくのだ。
そんな事を思わされるのも、この写真達。過去のアルバムを時折振り返ってみると、この大きな川の一部でしかない。という事を感じざるを得ない事実である。沢山の人と出会い。沢山の人と夢を語り、時には酒を酌み交わした日々。やりたい事はまだまだある。夢は続いていて、終わりは無いのかもしれない。出会いというものは本当に有り難く。一期一会なんだなと痛感した。
着地点は未だに見えないが通過した以上、その先がある事は間違い無い。
なぜこんなにも、釣りは楽しいのだろうか。